【随想】
~海外のオペラを日本語訳で上演することの是非~
これは過去10年にわたって、日本語訳でのオペラ公演に携わってきた者としての私の考えです。
賛否両論ございましょうが、参考になりましたら幸いです。
あくまで原語での上演を求める人々はしばしば「作曲家は原語に音楽をつけたのだから、言葉を変えては作曲家の意図が損なわれる」と主張する。いわゆる原典主義であるが、オリジナルの再現を形の上で追求することは、必ずしも効果の上での再現にならないことを忘れてはならない。なぜなら、オペラはその時代のその国の観客のために作られたものであって、例えば19世紀のイタリア・オペラを21世紀の日本人に見せる場合、舞台と観客との関係はとっくに「原典」から離れているからである。
オペラ公演もまた再現芸術であるが、問題は“何を再現するか”である。イタリア人がイタリア・オペラを母国語として楽しむように、日本人には日本語で楽しんでもらおうという考え方は、決して原典を否定するものではない。また原語上演の価値も、邦訳上演の必要性を否定するものではないはずである。
また作曲家の意図についても、邦訳が原作者への冒涜であるというのは過ぎた主張である。例えば「フィガロの結婚」は原作者ボーマルシェの戯曲を、かなり改変しながらダ・ポンテが台本化し、モーツァルトが作曲にあたってさらに手を加えている。その上、上演のたびに明らかに客受けを狙った書き直しを行っている。さらに現代の演出家たちは、作曲当時では考えられなかったような斬新な演出を行っている。しかし、それを以てモーツァルトへの侮辱だとか、ダ・ポンテの軽視だとか、ボーマルシェへの裏切りだとか批判する者は殆どいない。上演の形態や条件が変わる時には、本質的なものを歪曲しない限り、若干の変化は許されるからである。しかも実際、邦訳担当者が訳詞を考えるときには、原語台本と作曲者の意図に忠実であろうと努力するのであるから、邦訳によって「本物」が「贋物」になったように非難するのは妥当ではない。事実、ヨーロッパでは広く翻訳上演が行われているし、映画の分野では字幕版と吹き替え版がどちらも厚い支持を受けている。
また、日本語訳での上演には大きなメリットがもう一つある。それは字幕を用いずに済むことである。これはコストを下げるだけでなく、観客の視線を舞台に集中させ、観劇上のストレスを減らすものである。映画の字幕でさえ敬遠する人があるのに、ひとりオペラだけが恐ろしく見づらい舞台用字幕を強いるのは原典主義の押しつけというものである。
願わくは、原語上演と訳詞上演とが足を引っぱりあうことなく、共に手を携えてオペラという文化を広めていって欲しいものである。
実際にオペラ台本を日本語に訳す場合、いくつかの問題があるが、その内の一つとしてレチタティーヴォの問題が挙げられる。
バロック後期からロマン派中期あたりにかけて多くのオペラ作品が、アリアや重唱などの音楽的な部分とレチタティーヴォという台詞的性格の強い部分とに分けられて構成されている。日本語訳にあたっては、もちろん全ての部分を訳すのが理想なのではあるが、レチタティーヴォを訳すことには実りが少ないのではないかという疑問が生じる。つまり、レチタティーヴォはレチタティーヴォ・アコンパニャートのようにオーケストラを伴って音楽的に進行する部分を除いては、たいていの場合(セッコ部分)、台詞の韻律に合わせて辛うじて音楽がつけられている程度に過ぎないからである。また、作曲者自身もこの部分の作曲にはあまり熱意を持っていないことは、たとえばモーツァルトなどのように弟子の手に委ねたりする事からも推察される。
そのようなレチタティーヴォの訳にあたって、「音楽に合わせて言葉を組み立てる」ということを最優先とすべきかは大いに疑問がある。むしろ、そのことで物語上の台詞の在り方を著しく制限してしまいかねない。特に日本語というのは個々の音節が重いので、与えられた音譜に当てはめようとすると、どうしても言葉の数が足りなくなってしまうのである。
そこで原点に返って、レチタティーヴォの役目はあくまでも物語の進行にあることを考慮する必要がある。訳詞者や音楽サイドの責任者に技術があればの話だが、音譜を書き加えたり置き換えたりする裁量権は少なからず認められるべきである。
またレチタティーヴォの形にこだわらず、むしろ思い切って台詞化してしまおうと考えるのも決して責任の放棄とは言えないだろう。実際、フランスのオペラ・コミークやドイツ語圏のジングシュピール、オペレッタ等は台詞進行であるし、「カルメン」のように元はオペラ・コミークであったものが後でレチタティーヴォを付加されたケースのあるように、レチタティーヴォと台詞の間には従来考えられているほどには大きな溝は無いはずである。
桂木農
2004.1.23
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